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語尾がバラバラ

サイ銭

らもさんの著書「中島らものたまらん人々」に「『えべっさん』の呪い」という話がある。普段から神様を小馬鹿にしていたところ、えべっさんのある西宮北口あたりでドブにハマってわき腹を打ってしまったという話である。そして、その締めに「サイ銭を払わないくらいでバチを当てるなんてのが神様のやることか」と書かれている。なるほど確かにその通りである、と僕は思う。

そもそも僕は神仏の類を一切信仰していない。それがどれほどかというと、新年の初詣すらもう何年も行っていない始末である。それほどに信仰心のカケラも無いものだから、当然神社やお寺で賽銭を投げるのにも凄〜く抵抗があり、ぶっちゃけ嫌である(まったく、高々数十円のサイ銭を渋るほどおれは金が無いのか…!)。

ここでちょっと斜に構えた人たちは「そんなにイヤなら、そもそも神社に行かなければ良いじゃないか!」と言うでしょう。しかし、僕にも断りづらい人付き合いというものがある。日本人の多くは無宗教とは言われるものの、大抵の人はなんだかんだでちょっとした信仰心みたいなものがあり、有名な観光地、知人の合格祈願など、なにかにつけて「一緒に寺や神社に行こうじゃないか!」と僕を誘ってくるのである。そして僕はこのような誘いを断ることもできず、毎度フラフラとついて行ってしまう。こういったふうに、日本に住んでいる以上、何らかの場面で神社やお寺に行くことになるということは、よくあることなのだ。

そんなこんなで、仕方なく神社やお寺に連れて行かれることがたまにあるが、そんな嫌々ながらの僕を神様や仏様は許してくれるのだろうか。いや、神様や仏様が許してくれないなら、こっちだって和解する気はございません!いざ、神様仏様対僕で全面勝負です。そしてこのようにブツクサと文句を垂れながらも、意思の弱さゆえ僕はその場の雰囲気に流されて、結局いくらかの賽銭を投げてしまうのである。どうぞ神主さん、お坊さん、風俗にでも使ってください。

 

おしまい